村木さんのこの「戦い方」は、決して今回の拘留期間に突然編み出されたものではない。村木さんの職業人生そのものの戦い方であったはずだ。
手記では村木さんが1978年に労働省に入省した時の様子も記されていた。
均等法以前の霞ヶ関ではキャリア女性にお茶くみをさせるかどうかで、大論争になるほどの時代だったという。そんななか村木さんは、
「いいですよ、お茶くみぐらい」
と毎朝誰よりも早く出勤し、全員に挨拶しながらお茶を配った。そのため職員の名前をすぐに覚え、数年後に異動になった時には何度も送別会を開いてもらい、また、男性と同じだけ残業しても女性にはつかなかった残業手当も、当時の上司の采配で村木さんにはついたというエピソードが披露されていた。
このエピソードを読みながら、どうしても東電OLを思い出さずにはいられなかった。
二人は同世代。均等法以前に“一般女性”とは違う立場で“男会社=男社会”に入った女二人は、とても似ていて、そしてあまりにも対照的である。
東電OLは、村木さんの二歳下。1980年に東電に入社。
彼女は男性社員の湯飲みを“洗わされていた”。
たらいに湯飲みを入れ、たらいを持ち上げゴロゴロとふり、そのため湯飲みをいくつも割ったという。
そりゃぁ、そうだ。“男並”の責任を負いながら“女として”の義務まで負うなんて、聞いちゃいないだろう。亡き父が勤めた東電に入り、「亡き父の名を汚さぬよう、がんばります」と言ったという彼女。いくつもの湯飲み茶碗を割りながら、経済専門誌に投稿し受賞までするが、会社は彼女を「生かす」ことはできなかった。同期の男性と比べると明らかにもたついた「出世」コースにどれだけの悔しい思いを味わったことか。村木さんのように愛され信頼される職業人生ではなく、不本意に出向した子会社で彼女は、“上司や同僚の報告書のまちがいを容赦なく指摘し、嫌われた”(上野千鶴子「女ぎらい」)という。
彼女が目標値を“男並み(父並)”に高く設定したのは間違いなく、そして、“勝ち”にいったことは、残されたエピソードから痛いほどわかる。だからこそ渋谷で殺される前からずっと、彼女は静かに殺され続けてきた。そんな「殺され方」が全く無縁のものじゃない、と思えるからこそ、未だに東電OLは多くの女の心に住んでいるのだ。